ありがとう [家族]
おはようございます。
いやー 実は、『こんなんあり?』みたいなことがありまして…
父が先日不慮の事故で亡くなってしまいました。
享年73歳…懸命に働いて、働いて、働いて…
今のボクがあるのも、父のおかげだと思っています。
一泊二日での音楽の合宿は、それは楽しいものでした。
特に21日の『牛岳温泉健康センター』の前から見た朝陽の、なんと素晴しかった
ことか…
そして、合宿も無事終了して、ご機嫌で家路についた時…以前こんな写真を撮ってた
ことを思い出しまして…
これは、一昨年の11月に魚津で撮った夕焼けの写真なんです。
またこんなんが撮れればいいな…なんて思って魚津に向かって車を走らせていました。
そこへ、三男坊からのメールが入り…
『じいちゃん怪我して救急車で医科薬科病院いったらしくて、それで母ちゃんと
ばあちゃんが病院向かったから…』 16:10
とのことです。
すぐにUターンしてボクも病院に向かいました。
カミさんからは、『骨盤骨折で処置中…救急のとこにいます…』との連絡も入りました。
ボクが病院に到着したのは午後5時ちょっと過ぎ…まだ父は救急救命室にて治療を
受けていました。
そこには町内のよく知る方が一人いらっしゃって、
『生産組合からの依頼で、近所の農道を整備する作業をしていた。そしてお父さんは
吊り上げられてたL字溝とトラックに挟まれた。ホントに申し訳ない…』とのことでした。
みんながボランティア精神でやっていた作業中の出来事…誰かに不注意があったと
しても、責められるものではありません。
こんなのに挟まれたのですね。そりゃ痛いわ (><)
そこにお医者様からの説明があり…
『お父上は骨盤の粉砕骨折です。懸命に治療を続けていますが、現在は意識もしっかり
しておられます。骨折の治療期間としては、1.5~2ヶ月ほどかかると思われます。』
とのことだったので、とりあえずはホッとしました。しかし…
『ご高齢の方が骨盤骨折をされた場合、命を落とされる危険性、あるいは後遺障害の
残る可能性があります…』
との一言も付け加えられました。
その前後、病院の出入り口からみた夕陽の、なんとキレイだったことか…
集中治療室に移されて治療が始まり、面会が出来るようになりました。
手術が出来るような単純な骨折ではなく、とにかく骨盤からの出血を止めることを
第一としての治療は、体中にいろんな管が付けられ、それはいたたまれない光景
でしたが…
『おぉ、父さん、ビックリしたぞ…まぁこれも少し休めっちゅう事だろうから、この際
体中をお医者さんに診てもらえばいいやろ…』と、ボクが言うと
『そうか、なら仕方がないの。しばらく家のことを頼むぞ。今度来るとき、目薬と補聴器
を持ってきてくれんか…』と、普通に父が答えました。
この時は、『これなら大丈夫だ(^^)v』と、確信して病院を後にしたのでした。
それが父との最後の会話でした。
病室では私たち家族や二人の娘(ボクの妹)や、孫たちや父の弟たちが意識のなく
なった父に代わる代わる呼びかけていて、その声があまりに大きいので看護師さん
に『場所をわきまえてください…』などと怒られたりして…
でも、そんな呼びかけも叶わず、3月23日、午前11時33分に息を引き取りました。
自宅に帰るときは既に棺に納められていたのですが、自分のかわいがっていた9人の
孫たちに運ばれての悲しい帰宅でした。
ホントに重い話でごめんなさい。
でも、ボク自身の記憶に確かにとどめておきたくて敢えて記事にしました。
その後、お通夜と葬儀には用意していた会場の収容人数の倍を超える、ホントに
たくさんの方々にご会葬いただき、父の存在の大きさに改めて気付かされました。
そして葬儀では、父に可愛がられた孫たちが一人ずつ父にお別れの言葉を言って
参列いただいた方々の涙を誘っていました。
昨日やっと挨拶回りを終え、今は何だか気の抜けてしまったような…そんな感じです。
思い出すのは、父との楽しかった日々やくだらない会話の数々、いつも一所懸命に
働いていた父の姿です。
また、あの時こうしてあげていれば良かった…という後悔ばかりが残ります。
今は父の残してくれた、この素晴しい家族を、一族を、更に発展させていかねば…とは
思うのですが、どうすればいいのか、全くちんぷんかんぷんです。
でも、ただ一言いえるのは…
『父さん、ありがとう』です。
至らぬバカ息子だけど、これからも見守っていてください…
いやー 実は、『こんなんあり?』みたいなことがありまして…
父が先日不慮の事故で亡くなってしまいました。
享年73歳…懸命に働いて、働いて、働いて…
今のボクがあるのも、父のおかげだと思っています。
一泊二日での音楽の合宿は、それは楽しいものでした。
特に21日の『牛岳温泉健康センター』の前から見た朝陽の、なんと素晴しかった
ことか…
そして、合宿も無事終了して、ご機嫌で家路についた時…以前こんな写真を撮ってた
ことを思い出しまして…
これは、一昨年の11月に魚津で撮った夕焼けの写真なんです。
またこんなんが撮れればいいな…なんて思って魚津に向かって車を走らせていました。
そこへ、三男坊からのメールが入り…
『じいちゃん怪我して救急車で医科薬科病院いったらしくて、それで母ちゃんと
ばあちゃんが病院向かったから…』 16:10
とのことです。
すぐにUターンしてボクも病院に向かいました。
カミさんからは、『骨盤骨折で処置中…救急のとこにいます…』との連絡も入りました。
ボクが病院に到着したのは午後5時ちょっと過ぎ…まだ父は救急救命室にて治療を
受けていました。
そこには町内のよく知る方が一人いらっしゃって、
『生産組合からの依頼で、近所の農道を整備する作業をしていた。そしてお父さんは
吊り上げられてたL字溝とトラックに挟まれた。ホントに申し訳ない…』とのことでした。
みんながボランティア精神でやっていた作業中の出来事…誰かに不注意があったと
しても、責められるものではありません。
こんなのに挟まれたのですね。そりゃ痛いわ (><)
そこにお医者様からの説明があり…
『お父上は骨盤の粉砕骨折です。懸命に治療を続けていますが、現在は意識もしっかり
しておられます。骨折の治療期間としては、1.5~2ヶ月ほどかかると思われます。』
とのことだったので、とりあえずはホッとしました。しかし…
『ご高齢の方が骨盤骨折をされた場合、命を落とされる危険性、あるいは後遺障害の
残る可能性があります…』
との一言も付け加えられました。
その前後、病院の出入り口からみた夕陽の、なんとキレイだったことか…
集中治療室に移されて治療が始まり、面会が出来るようになりました。
手術が出来るような単純な骨折ではなく、とにかく骨盤からの出血を止めることを
第一としての治療は、体中にいろんな管が付けられ、それはいたたまれない光景
でしたが…
『おぉ、父さん、ビックリしたぞ…まぁこれも少し休めっちゅう事だろうから、この際
体中をお医者さんに診てもらえばいいやろ…』と、ボクが言うと
『そうか、なら仕方がないの。しばらく家のことを頼むぞ。今度来るとき、目薬と補聴器
を持ってきてくれんか…』と、普通に父が答えました。
この時は、『これなら大丈夫だ(^^)v』と、確信して病院を後にしたのでした。
それが父との最後の会話でした。
病室では私たち家族や二人の娘(ボクの妹)や、孫たちや父の弟たちが意識のなく
なった父に代わる代わる呼びかけていて、その声があまりに大きいので看護師さん
に『場所をわきまえてください…』などと怒られたりして…
でも、そんな呼びかけも叶わず、3月23日、午前11時33分に息を引き取りました。
自宅に帰るときは既に棺に納められていたのですが、自分のかわいがっていた9人の
孫たちに運ばれての悲しい帰宅でした。
ホントに重い話でごめんなさい。
でも、ボク自身の記憶に確かにとどめておきたくて敢えて記事にしました。
その後、お通夜と葬儀には用意していた会場の収容人数の倍を超える、ホントに
たくさんの方々にご会葬いただき、父の存在の大きさに改めて気付かされました。
そして葬儀では、父に可愛がられた孫たちが一人ずつ父にお別れの言葉を言って
参列いただいた方々の涙を誘っていました。
昨日やっと挨拶回りを終え、今は何だか気の抜けてしまったような…そんな感じです。
思い出すのは、父との楽しかった日々やくだらない会話の数々、いつも一所懸命に
働いていた父の姿です。
また、あの時こうしてあげていれば良かった…という後悔ばかりが残ります。
今は父の残してくれた、この素晴しい家族を、一族を、更に発展させていかねば…とは
思うのですが、どうすればいいのか、全くちんぷんかんぷんです。
でも、ただ一言いえるのは…
『父さん、ありがとう』です。
至らぬバカ息子だけど、これからも見守っていてください…
なかちゃん、こんにちは。
お父様のご冥福、心からお祈りします。
葬儀の後は、日にちがたつほど寂しさとお疲れが出てきます。
体をいたわってくださいね。
そして、お母様もそうですね。
私も父が他界したとき、母は葬儀が終わるまで気丈に振舞っていましたが、その後やはり心労が出て、しばらく私が付き添いました。
なかちゃんも、体には十分気をつけてくださいね。
お父様、いいお顔されていますね。
天国への階段は、先に旅立たれた方々が立っていると聞きます。
今頃、天国のいっぱいの花咲く場所で、ベンチに腰掛けながら、
昔ばかしなどされているかもしれませんね。
心からご冥福お祈りします。
今日は、ナイス押さないでいきます。。。
by michan* (2009-03-29 10:37)
horigonさんのところでお父様がお亡くなりになったのは承知していたのですが。。。
本当に突然の大変な事故だったのですね(>.<)
こんなことがあっていいのかってワタシでさえびっくり驚いてしまうのに
なかちゃん始めご家族の驚きと悲しみは想像絶するものだと思います。
お見送り間もないのでまだお疲れでしょう。
お父様との思い出たくさんたくさん思い出しながらなかちゃんの気持ちが
少しでも安らぐよう祈ってます。
一家の大黒柱としてたくさん働いて家族を養ってきたお父様、
天国でなかちゃんご家族のこときっと見守ってくれてるはずだと思います。
ごめんなさい、病院からの夕日が哀しすぎるほど綺麗すぎて
うまく言葉が見つからなくって。。。(>.<)
親との別れはいつか来ると覚悟してますが・・・やっぱり突然すぎるお別れは
心の準備がないだけに辛すぎますね。
お父様のご冥福、心からお祈り致します。
by がぁこ (2009-03-29 15:03)
なかちゃん こんばんは
僕のブログで、なかちゃんのお父様のことを触れるかどうか迷ったけど、
どうしても、知らぬ振りをして記事など書けなかったので、Nちゃんと
いちおう仮名で書いてしまいました。勝手なことでゴメンね。
少しは落ち着かれたようですね。
ここで、いろいろ書いても切がないけど、通夜の席で、ご家族を拝見して
いて思ったことですが、お父様にとって、別れは切ないけど、立派に成長
したお子さん、お嫁さん、そしてお孫さんがいるので、お母様のことを
安心して託して行かれた事だろうなと思いました。
働きずくめの人生、ゆっくりとお休みください。
なかちゃん、そしてご家族の方も、さぞや心も体もお疲れのことと思います。
どうぞ、ご自愛ください。
by horigon (2009-03-29 17:54)
こんばんは。
horigon先生の記事中で、「えっ?もしや?」と・・・
心よりおくやみ申し上げます。
そしてお父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
何気ない日常にこそ幸せはあるんですよね。
それが事故とはいえ・・・・・・
心中、お察し申し上げます。お疲れの事とは存じますが、どうぞご自愛ください。
by エルモ (2009-03-29 20:58)
この世にバカ息子はおりません。
そして、ご愁傷様でした。
突然の出来事で、さぞ驚いたことでしょう。
落ち着くまでは時間がかかるでしょうが、
ゆっくりと慣れていって下さい。
by たいへー (2009-03-29 21:41)
♪今回ご来訪&コメントをくださいました皆様…ホントにありがとうございました。
こんな重い記事にお付き合いいただき、心より感謝申し上げます。
なお、こんな内容故に、今回はボクの判断でnice! を閉じていることもご理解
ください。
それと、顔文字も…なかなか使えません。
♪みーちゃんこんばんは。
ホントに今になって言いようのない寂しさがボクにのしかかってきています。
ボクの身体は大丈夫とは思いますが、やはりお袋が心配です。
オヤジの顔を載せるのも『いかがなものか…』と考えましたが、でも、ボクの
大好きなオヤジの顔なんです。
なんか知らんけど、『頑張れよ…』と言ってくれてるようで…
あの世でむかし話をしていてくれるなら、そんな嬉しいことはありません。
ホントにありがとうございました (^^)
♪がぁこさんこんばんは。
昔、いつかはこの日が来るだろうということは考えたことがありました。
でも…決して来てほしくない日でした。
あの日の朝陽と夕陽は、ホントにキレイでした。
オヤジに対しての想い出が、またひとつ出来たような気がします。
ホントにありがとうございました (^^)
♪先輩こんばんは。
先輩のブログの中で紹介してもらったこと…ホントに嬉しかったです。
一時は『どうしよう…?』って思っていたボクがブログを再開することができたのも
先輩のおかげです。
今日、初七日の法要が終わり、周囲はかなり静かになってきました。
きっと、これからがオヤジとボク達家族がゆっくりと語り合える時間になるのかな?
なんて思っています。
そのうち、日々の忙しさで忘れてしまうかもしれないので、今のうちにたっぷりと
オヤジのことを想ってみたいと思います。
ホントにありがとうございました (^^)
♪エルモさんこんばんは。
何気ない日常にこそ幸せはある…ホントにそのとおりだと思います。
まさかこんなことになるとは、10日前には全く思ってもいないことでした。
ご心配いただき、ホントにありがとうございます。
なぁに…ボクは、ボクの家族は大丈夫です。
今後ビシバシと頑張りますので、またよろしくお願いします。
ホントにありがとうございました (^^)
♪たいへーさんこんばんは。
今回の出来事は、ホントにビックリしました。
きっといつかは落ち着くのでしょうが、今はまだ無理かも…
かなり混乱しています。
この世にバカ息子はいない…と、信じたいのですが、何かボクは思いっきり
バカ息子のような気がしてなりません。
後悔ってこんなことをいうのでしょうね…
ホントにありがとうございました (^^)
by なかちゃん (2009-03-30 00:32)
奥様から今回の事を聞き大変ビックリしました。ご家族の方の気持ちを考えるとツラくて切なくて。でもお父様はきっと安心して旅立たれたでしょうね。この記事を読んでいたら涙が止まらなくなってしまいました。近ければとんでいきたかったのですが…
お父様の優しそうな笑顔がとてもステキですね。
遠い空の下からお父様のご冥福をお祈りしております。
by マミー (2009-03-30 00:35)
ご尊父様のご逝去を悼み、ご遺族の皆様に謹んでお悔やみを申し上げます。
ご冥福を心よりお祈り申し上げます。
by tasuchan (2009-03-30 08:56)
大変な事故だったんですね・・・
いつかは皆土に還るけど、自然に還るのと、いきなり事故でいなくなってしまうのは当事者にとっては捉え方がまったく別になりますからね・・・
心中お察しします。
背負うものが大きくなるかもしれないけど、将来お父さんに会った時に笑って色々報告できるように一歩ずつみんなで力を合わせ進んでいってくださいね。
僕は幸せ者で両親も、妻の両親も健在です。
年々年を重ね、いつかその日のことを考えることがだんだん増えてきています。
心構えはしてるつもりだけど、強くいられるのかな?
謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
by たま (2009-03-30 21:14)
♪マミーこんばんは。
記事を読んでくれて、そしてオヤジのために泣いてくれて、ありがとね。
きっとオヤジも喜んでくれていることと思います…
『優しい』というのが合ってるのかどうかは分かりませんが、とにかくガマン強い
オヤジでした。
どんな状況に追い込まれても、誰にもグチることなく、黙々と働いていました。
仕事や生き方は違えども、僕の中にはいつしか目標となっていたのかも…です。
きっとボク達を見守ってくれていると思います。
ホントにありがとうございました (^^)
♪tasuchanさんこんばんは。
今回はこんな記事でゴメンナサイ。
お悔やみのお言葉、ホントにありがとうございました (^^)
♪たまさんこんばんは。
ホントにいきなりだったもので、実はまだ信じられないのですよ。
まぁ、時間が解決してくれると思っています。
ボクもいつか間違いなく死ぬのだろうけど、そのときこそオヤジと差し向かいで
呑みたいな…なんて思います。
一緒に呑んだことはあったけど、二人きりというのは記憶にないんです。
『親孝行したい時には親はなし…』なんて、使い古されたような言葉がずっと
頭の中を駆け巡っています。
でも、二人きりではなかったということは、いつもボクとオヤジの周りに誰かが
いてくれた…ってことなのかもしれませんけどね。
ホントにありがとうございました (^^)
by なかちゃん (2009-03-30 22:09)