沖縄で [過去ネタ]
昨日は沖縄での地上戦終結64周年ということで『慰霊の日』だったそうですね。
沖縄県では最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の丘の平和祈念公園で
『沖縄全戦没者追悼式』が開かれたとのことです。
若い頃より『平和問題』に興味があるボクは、昨日の式典の様子をラジオで聞いて
おりました。
平和祈念資料館
平和の礎(いしじ)
沖縄平和祈念堂
沖縄平和祈念像
平和の塔
糸満市喜屋武(キャン)にある、喜屋武岬に設置されている塔です。
この喜屋武岬というのは、沖縄地上戦のときに、たくさんの方が身を投げた、いわゆる
日本版バンザイクリフとのことです。
こんなトコロからジャンプ?スッゴクこわいんですけど (><)
そしてご存知『ひめゆりの塔』
等々、いろんな建造物や史跡が沖縄にはあります。
写真は全て3年前の1月に沖縄を訪れた際に撮ってきたものなんですが、ボクは今までに
沖縄は3回ほど行ったことがあります。
ホントは今年の7月にも行こうと計画していたのですが、諸般の事情により1年延期する
こととなりました (><)
何で今頃こんな古い写真を持ち出したか…というと、ネタがなかった やっぱりラジオを
聴いていて思い出したから…なんでしょう。
過去の戦争を振り返って、悲惨でなかったものなんてひとつもないと思いますが、その中
でも広島・長崎の原爆と、この沖縄の地上戦は特にその悲惨さが語り継がれています。
一瞬にして全てを殲滅させた原爆も悲惨ですが、1945年3月26日から6月23日までの
90日間、民間人をも巻き込んでの地上戦は『恐怖が続く』という意味では、これまた大変
悲惨なものだと思われます。
3年前に聞いた記憶なので、少し曖昧なところがあるかもしれませんが、『ひめゆりの塔』
とか『平和祈念堂』とかは、お上からの運営資金援助は一切受けていないとのこと…
援助を受けると展示内容にお上の規制がかかり、真実をねじ曲げて展示させられてしまう
から…とのことでした。
♪南部戦跡で見たものは 葬り去られた戦争の傷跡
ここで息絶えた人たちの誰もが どんな気持ちで眠っているのでしょう
沖縄 かつての激戦地 今は過去の物語
戦争のことを知らなくても 忘れてはならない
追い詰められて 命を絶つしか 道がなかった 人たちの叫び
南部戦跡で見たものは 観光化された戦争の傷跡
この地で働く人たちの誰もが どんな思いで暮らしているのでしょう
沖縄 かつての激戦地 今も戦いは続く
戦争のことを知らなくても 忘れてはならない
侵略の歴史 再び許すな 平和を求める 人たちの叫び 忘れはしない♪
『沖縄で』 詩・曲=Mari Yamada
この曲は、ボクの音楽仲間の女性が、新婚旅行で沖縄を訪れた際に創った曲なんですが、
ボクが行った時も『戦争の傷跡』さえも商売に結び付けている『お土産やさん』がとっても
気分悪かったです。
まぁ、お土産やさんなんて、そんなもんなのかもしれませんけどね…
さて、ご存知の方も多いのかもしれませんが、前出の『ひめゆりの塔』のような場所は、
沖縄にはいたるところにあります。
『白梅の塔』は、その意味合いは『ひめゆりの塔』と全く同じです。ただ、資料館が
ないため観光コースには入っていません…
こちらでもたくさんの女学生が命を落としたそうです。
『ひめゆりの塔』『白梅の塔』が女学生なら、こちらは『沖縄師範健児の塔』…つまり、
男子学生の塔です。
この壕(ガマ)で、たくさんの少年たちが命を落としました。しかし、こちらも観光コース
には入っていません。
この壕の裏側約30mほどの場所に水汲み場があったそうです。
そして少年たちは3人1組で水を汲みに行くのですが、無事に帰り付く少年は1人か
2人だったそうです。
その目と鼻の先に海岸線が広がっていて、米軍の戦艦がずらっと並んでいて、その
少年たちに砲撃を加えたとのこと…3人の男の子を持つボクは、ここでの話を聞いて
涙が止まらなくなってしまいました (TT)
先ほどの喜屋武岬も観光コースには入ってないんですね…
何故なら、そこへ行くための道路がスッゴク狭くて、大型観光バスは入って行けない
んです。ボクはレンタカーを借りてガイドのオジサンと行きました。
これから夏も本番を迎えると、いろんなところで『平和を考える集会』とか何とかが
開催されます。だけど、8月15日になるとそこでおしまい…
こんな問題を夏場の一時期だけイベント的に考えるような『平和運動』でいいのかな?
ても、何にも考えないよりはまだマシなのかな…よく分かりません。
だけど、ボクはずーっと考えて行きたいと思っています。
だって、全ての人が『平和な世の中』を望んでいると思っていますから…
ホントに堅苦しい話でゴメンナサイ m( _ _ )m
次回はもっと明るく楽しいのをやりたいな (o゚▽゚)o
こんなのがいいかな…?
それともこっちの方がいいのかな???
1度に2つもネタを使うのももったいないし…
とっても迷ってまーす ヾ(・ε・。)コラコラ
沖縄県では最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の丘の平和祈念公園で
『沖縄全戦没者追悼式』が開かれたとのことです。
若い頃より『平和問題』に興味があるボクは、昨日の式典の様子をラジオで聞いて
おりました。
平和祈念資料館
平和の礎(いしじ)
沖縄平和祈念堂
沖縄平和祈念像
平和の塔
糸満市喜屋武(キャン)にある、喜屋武岬に設置されている塔です。
この喜屋武岬というのは、沖縄地上戦のときに、たくさんの方が身を投げた、いわゆる
日本版バンザイクリフとのことです。
こんなトコロからジャンプ?スッゴクこわいんですけど (><)
そしてご存知『ひめゆりの塔』
等々、いろんな建造物や史跡が沖縄にはあります。
写真は全て3年前の1月に沖縄を訪れた際に撮ってきたものなんですが、ボクは今までに
沖縄は3回ほど行ったことがあります。
ホントは今年の7月にも行こうと計画していたのですが、諸般の事情により1年延期する
こととなりました (><)
何で今頃こんな古い写真を持ち出したか…というと、
聴いていて思い出したから…なんでしょう。
過去の戦争を振り返って、悲惨でなかったものなんてひとつもないと思いますが、その中
でも広島・長崎の原爆と、この沖縄の地上戦は特にその悲惨さが語り継がれています。
一瞬にして全てを殲滅させた原爆も悲惨ですが、1945年3月26日から6月23日までの
90日間、民間人をも巻き込んでの地上戦は『恐怖が続く』という意味では、これまた大変
悲惨なものだと思われます。
3年前に聞いた記憶なので、少し曖昧なところがあるかもしれませんが、『ひめゆりの塔』
とか『平和祈念堂』とかは、お上からの運営資金援助は一切受けていないとのこと…
援助を受けると展示内容にお上の規制がかかり、真実をねじ曲げて展示させられてしまう
から…とのことでした。
♪南部戦跡で見たものは 葬り去られた戦争の傷跡
ここで息絶えた人たちの誰もが どんな気持ちで眠っているのでしょう
沖縄 かつての激戦地 今は過去の物語
戦争のことを知らなくても 忘れてはならない
追い詰められて 命を絶つしか 道がなかった 人たちの叫び
南部戦跡で見たものは 観光化された戦争の傷跡
この地で働く人たちの誰もが どんな思いで暮らしているのでしょう
沖縄 かつての激戦地 今も戦いは続く
戦争のことを知らなくても 忘れてはならない
侵略の歴史 再び許すな 平和を求める 人たちの叫び 忘れはしない♪
『沖縄で』 詩・曲=Mari Yamada
この曲は、ボクの音楽仲間の女性が、新婚旅行で沖縄を訪れた際に創った曲なんですが、
ボクが行った時も『戦争の傷跡』さえも商売に結び付けている『お土産やさん』がとっても
気分悪かったです。
まぁ、お土産やさんなんて、そんなもんなのかもしれませんけどね…
さて、ご存知の方も多いのかもしれませんが、前出の『ひめゆりの塔』のような場所は、
沖縄にはいたるところにあります。
『白梅の塔』は、その意味合いは『ひめゆりの塔』と全く同じです。ただ、資料館が
ないため観光コースには入っていません…
こちらでもたくさんの女学生が命を落としたそうです。
『ひめゆりの塔』『白梅の塔』が女学生なら、こちらは『沖縄師範健児の塔』…つまり、
男子学生の塔です。
この壕(ガマ)で、たくさんの少年たちが命を落としました。しかし、こちらも観光コース
には入っていません。
この壕の裏側約30mほどの場所に水汲み場があったそうです。
そして少年たちは3人1組で水を汲みに行くのですが、無事に帰り付く少年は1人か
2人だったそうです。
その目と鼻の先に海岸線が広がっていて、米軍の戦艦がずらっと並んでいて、その
少年たちに砲撃を加えたとのこと…3人の男の子を持つボクは、ここでの話を聞いて
涙が止まらなくなってしまいました (TT)
先ほどの喜屋武岬も観光コースには入ってないんですね…
何故なら、そこへ行くための道路がスッゴク狭くて、大型観光バスは入って行けない
んです。ボクはレンタカーを借りてガイドのオジサンと行きました。
これから夏も本番を迎えると、いろんなところで『平和を考える集会』とか何とかが
開催されます。だけど、8月15日になるとそこでおしまい…
こんな問題を夏場の一時期だけイベント的に考えるような『平和運動』でいいのかな?
ても、何にも考えないよりはまだマシなのかな…よく分かりません。
だけど、ボクはずーっと考えて行きたいと思っています。
だって、全ての人が『平和な世の中』を望んでいると思っていますから…
ホントに堅苦しい話でゴメンナサイ m( _ _ )m
次回はもっと明るく楽しいのをやりたいな (o゚▽゚)o
こんなのがいいかな…?
それともこっちの方がいいのかな???
1度に2つもネタを使うのももったいないし…
とっても迷ってまーす ヾ(・ε・。)コラコラ
2009-06-24 22:24
nice!(12)
コメント(12)
広島と長崎の原爆。そして沖縄の地上戦。富山も空襲がありましたね。
私は戦争は知りませんがなくなった祖父母からよく話を聞かされました。
その悲惨さを子供たちに伝え、世界平和に努めたいですね。
最近でいえば"男達の大和”の映画を観て泣きました。
by komo (2009-06-25 00:02)
広島に家族で行ったくらいかな。そういや、私の小学校は妹の時には修学旅行先が広島でした、まさしく『修学』ですね。
本土戦が無かっただけで空襲はあちこちであったし、日本以外の他の国々でも同じ惨劇が沢山・沢山あったんですよね。
今でも内紛で戦争状態の国があるという現実を常に思い描きながら生きるのは、とても難しいです。だからこそ、年に1回あついは夏の間だけでも考えるのかもしれません。
by ちあこさん (2009-06-25 07:03)
↑小学校の時に家族で行ったのですが、惨状に驚いて真剣に見た記憶の他に、キーホルダーをお土産に買った記憶があります(笑)
by ちあこさん (2009-06-25 07:06)
なかちゃん おはようっす^^
生れた年代のせいか、子供の頃から、戦争の話を良く聞かされて
育った世代です。たしかに、戦艦や戦車に憧れた時期もありましたが、
実際にそれが使われた時の悲惨さを思うと、戦争は、二度と繰り
返してはいけませんね。
沖縄、広島、そして富山大空襲しかり、日本全国や世界で起きた
悲惨な体験を、正確に伝えていくことが重要なことですね。
・・・ちょっと、生意気だったかな。(^^;
こんど、ビヤガーデンでプハーでもしましょうよ。(^^)
by horigon (2009-06-25 07:59)
平和のイベントやセレモニー、モニュメントは沢山あるけれど、
平和にしようという取り組みは行われてないですね。
世界中の人々の共通の願いのはずなのにね。
by たいへー (2009-06-25 08:54)
10年ほど前、広島の平和記念公園を訪れたとき、
何人かの外国の技術者と一緒でしたが、
記念館の展示を見たあと、中国人が(核保有国なので)
「私達は恥ずかしい」と(英語で)言っていました。
日本人も含めて世界中の人に知ってもらうという
意味があるんですね。
83歳の母は乙女のころに東京で戦争を体験。
数少ない祖母の指輪を供出し、土手でカボチャを作り、
「もう、2度とダマサレナイぞ!」というのが母の戦争体験です。
by ぐーちゃん (2009-06-25 09:04)
日本であった話なのに。。
なぜか遠い国の話のように思えちゃうワタシ^^;
沖縄がパスポートがないと行けない時代がそんな遠くない昔にあったことも
ほんとに信じられずです^^;
自ら命を絶った場所とか見るの忍びないけど、、でも
忘れちゃいけないためにも資料館とかがあるのですもんね(^-^*)
by がぁこ (2009-06-25 09:31)
ひめゆりの塔ですね、大学の卒業旅行で友人と沖縄に行ったさいよりました。現実にあったこととは思えないような沖縄の陽気ののなかで、このあたりに行くと空気がなんだかすこし違ったように感じた思いが有ります。
戦争は出来ればするものではないですね、当時は世界大戦でしたから、世界中で同じような悲劇があったんだ、大変なことなんだと思います。
by tasuchan (2009-06-25 13:46)
疎開していた先が、厚木に近く、コーンパイプのマッカーサーが到着した飛行場近くでした。「生き恥をさらすよりは死を選ぶ」というのが、当時の風潮でしたから、米軍到着の日は、家に閉じこもり、竹やりを準備していました。
この戦争は悲惨な結果に終わりましたけど、勝っていたらどうなっていたか、勝ち負け以前に、戦争はもういやです。実体験者としては、語り伝えたいと思うけど、言葉は空虚に回るだけ・・・なかちゃんのように、現地を見てまわって、想像でもいいから、敗戦を実感してくれるといいですねぇ~。
ひめゆり部隊は同年輩かな。
いまだに、生き恥?曝しております。
by okko (2009-06-25 15:08)
沖縄戦は壮絶でしたね
亡くなられた方の冥福をお祈りします
by yuki999 (2009-06-25 18:39)
♪ご来訪いただきました皆さま、おはようございます (^^)
何か、ガラにもないような記事を書いちゃって、いただいたコメントを読みながら、
照れに照れております ^^;
♪komoさん、おはようございます (^^)
ボクも戦争は知りませんが、いろんなトコロで聞いたりして、悲惨という
印象だけは持っています。
悲惨さを伝えるだけでなく、ホントに全てが平和な世界を築き上げる…これが
できたらいいのでしょうね ^^
『男たちの大和』は、ボクも観て泣きました…
でも、ボクの一番は『連合艦隊』の山田隆夫が演じていた少年兵です (><)
♪ちあこさん、おはようございます (^^)
妹さんは修学旅行で広島に?いいないいな…
ボクたちの年代は、小学校で修学旅行なんて、なかったです (><)
今も戦闘状態が続いている国もあれば、北○鮮みたいに他国に武力を
見せ付けようとしている国もあります…
そんなん、国のトップが最前線に出てドンパチやればいいのに…なんて
思ってしまいます ^^;
やっぱ夏だけでも考えてほしいですね (-_-)
実はね…ボクもお土産やさんでキーホルダーを買っちゃいました ^^
♪先輩、おはようございます (^^)
戦争の話を聞かされて育った僕たちは、まだいい方だと思います…
男ってやつは、みんなって言っていいくらいに戦艦とか戦車が好きなんじゃ
ないでしょうか?
ボクもとっても好きでした (><)
あんな物が『博物館』でしか見られなくなる日が来るといいですね ^^
未来の僕たちの子孫が『戦争なんて、TVか映画でしか見たことない』
ってなるように、語って伝えて行きたいです…
未来より一足先にビアガーデンで ぷはぁ ってやりましょう (^^)
♪たいへーさん、おはようございます (^^)
沖縄では、『○月○日の午後○時より、○○で平和コンサートを開催
します…』ってCMを、普通にやっているんです…
やっぱり過去の悲惨な経験がキチンと語り継がれているんでしょうね…
こちらでもそういうコンサートを、是非やってみたいです (^^)
♪ぐーちゃんさん、おはようございます (^^)
そうですか、中国の方がそんなことを…
だけど、あの資料館を見たら、神経のまともな方ならそのように言ってしまう
のかもしれませんね (><)
ぐーちゃんさんのお母さんや、当時のほとんどの日本人がが体験したような、
大切な想い出の品を供出させられたり、食べる物にさえ事欠くような生活…
もう二度と騙される訳にはまいりません。
♪がぁこちゃん、おはようございます (^^)
沖縄が日本に返還されたのが、1972年5月15日のことだから、37年前
のことなんですね。
ボクは小学校6年生で、学校でニュースを見ていた記憶があります…
自動車が右側から左側通行に変わったり、色々と大変だったんでしょうね (><)
がぁこちゃんが生まれるだいぶ前の話だけど、そんな人たちも含めて記憶に
留めておく必要があると思います…って、戦争自体はボクも知らないから、
同じだ ^^;
♪tasuchanさん、おはようございます (^^)
卒業旅行ですか…いいなぁ。沖縄は、旅行先としてはホントにサイコーの場所
ですからね…
ひめゆりの塔は、確かに違う空気が流れているような気がします。こちらへ
行けば、普段は考えていないような人でも、『戦争はするものではない』って
思っちゃうんじゃないでしょうか ^^
♪okkoさん、おはようございます (^^)
そうですね、okkoさんは悲惨な戦争の実体験者なんですね…
「生き恥をさらすよりは死を選ぶ」っていうのは、やはり『鬼畜米英』みたいに
教え込まれたのでしょうか?
3年前に行ったときに、『当時の沖縄の人たちにとっては、鬼畜米英でなくて、
鬼畜日本兵だったんですよ』って教えられました。
日本が戦争に勝っていたら、きっと今とは全く違う世界になっていたかも…
戦争はもういやです…って言葉だけでも若い世代に伝わればいいですね ^^;
生き恥だなんてとんでもない (x。x)
必要のない苦労を強いられた分だけ、長く楽しまなければ勿体ないです(^^)
♪yuki999さん、おはようございます (^^)
今年もまた123人の方の名前が『平和の礎』に刻まれたようですね。
ホントにご冥福をお祈りするとともに、恒久的な平和を願い、紛争が絶えない
世界へメッセージを送る使命が、ボクたちにはあると思います。
by なかちゃん (2009-06-26 06:16)
♪xml_xslさん、takemoviesさん、shinさん、たまははさん、
ありがとうございました(^^)
by なかちゃん (2009-06-28 00:43)